アリカワコウヘイ!
KO-HEY! ARIKAWA
atelier happy clover 528
那覇西高校出身
沖縄国際大学 法学部法学科(2001年度卒業)
美術作家。クレパス画家として活躍中。今年の10月には、沖縄県内プラザハウス グローバルギャラリーにおいて、展覧会を開催。その活躍の場は、沖縄や日本全国に留まらず、今や海外にまで及んでいます。世界を舞台に活躍している本学の卒業生アリカワコウヘイ!さんにインタビューを行いました。
―プロフィール―
美術作家。クレパス画家。1978年 福岡県北九州市生まれ、大阪と沖縄で育つ。家の事情で高校時代に沖縄に移住。幼少時代から野球一筋だったが人生の大きな壁にぶつかり、 明日すら見えず、絶望の淵だった23歳の頃、突如、絵と色彩の魅力に目覚め、まったく未経験の絵の世界に飛び込むことを決意。県の職員をしながら1枚500円の路上の絵描きからスタートし、1年後には画家として独立。現在では富士山の麓の山中湖にアトリエを構え、沖縄の街を走る彼の絵が描かれた3台の市内路線バスをはじめ、FM沖縄の公式キャラクター「リズムくん・メロディーちゃん」の制作、アサヒビールの泡盛「島思い」のラベルデザインなど企業とのコラボレーションなども多数。絵を展示するだけではなく、空間そのものの演出にまでこだわる「ハッピーファンタジア」と呼ばれる彼独特の展示会スタイルはまるで不思議の国に迷い込んだかのような雰囲気を持つ。沖縄で開催されている大きな展覧会では毎年10,000人近い来場者を記録、また近年、全国有名百貨店のギャラリー、ロフト等で作品の版画が発売されるなど、絵を描き始めて数年で全国にファンを持つアーティストに成長した。「音楽を聴くようにアートがもっと人々の生活に身近になるように橋渡しができれば」と情熱をのぞかせるように、見ているだけで元気がわいてくる明るい色使いとほのぼのとした温かさのある作風は、人々の心にダイレクトに響いてくる。
~沖縄国際大学を志望した理由を教えてください~
子どもの頃から本格的に野球を続けていたので、他県の野球で有名な大学への推薦入学の話などもあったのですが、僕は身体の弱い母のそばにいようと思い、沖縄県内での進学を決めました。また、実際に社会で活かせる力を身につけたくて沖縄国際大学の法学科を選びました。
~どのような学生生活を送っていましたか?~
自分で言うのもなんですが、それなりに真面目に勉強する学生だったと思います。切磋琢磨できる友人とも出会い、教職課程も履修していました。教育実習の際に、教材として紙芝居を作ったのが好評で、なんと他の高校からも授業の依頼があったほどです。
当時は絵を描くことにほとんど興味が無かったので、将来画家になるなんて想像もしていませんでした。あの紙芝居は、その後紛失してしまったのですが、今思えば、初期の作品(?)として取っておけばよかったかもしれませんね。
あとは、高校の野球のコーチや、時間の許す限りアルバイトに明け暮れていました。
~現在の職業「美術作家。クレパス画家。」を志したきっかけ~
卒業後、しばらくしてから、私生活や家族のことで色々問題が続き、僕自身、生きる意味を見失ってしまいました。当時は食べるお金にも困る生活で、打ちひしがれて自宅アパートのベランダに座っていた時、突然「ALL FOR HAPPY!」(すべては幸せのためにある)という言葉が僕に降りてきました。
「人生の不幸な面を知っているからこそ、本当の幸せの姿が見える。」「辛い体験も、すべては幸せへとつながっているんだ。」
そして僕は、「打ちひしがれていないで、まずは小さなことからでも、環境を変えてみよう」と思ったのです。その時、ふと目の前にあったコンクリートブロックに目が止まりました。「これに色を塗ってみたら、このベランダも、少し明るくなるんじゃないかな?」と思い、なけなしのお金で絵の具を買ってきて、コンクリートブロックに夢中で色を塗りました。すると本当に少しだけ風景の見え方が変わって、僕は、「色には力がある」ということを感じたんです。
色の力を信じている気持ちは、今でも変わりません。あの日が、僕の画家人生のスタート地点だと思います。
~現在のお仕事の様子を教えてください~
現在は展覧会やサイン会などで日本中を飛び回っています。ありがたいことに、毎年、国内50カ所ほどで展覧会が開催されています。全国での展覧会が増えるにつれて本土に拠点が必要になり、現在は沖縄を離れて、富士山の近くの山中湖村(山梨県)にアトリエを構えて活動しています。ここ数年は、海外での展覧会も増えてきて、月の半分は海外で過ごすということも、珍しくなくなってきました。
絵は世界共通の、言葉が要らない芸術なので、国内でも国外でも、展覧会で僕の絵を見て、誰かが笑顔になってくれるのを見ると嬉しいです。また、ときには僕の絵を見て涙を流しながら、「心が癒されました」と言ってくださる方もいます。僕の絵が誰かの力になっている。画家になってよかったと思う瞬間です。
その代わり、絵を描くというのは、僕にとって、無から有を生み出す作業で、新作を描くときには、毎回生みの苦しみを味わっています。作品たちは、苦しんで生んだ子どものようなもので、ただの「絵」という以上の大切な存在です。僕が目指しているのは、世界一、家族で行きたい展覧会。そして、僕の夢は、世界中を展覧会で回ることです。
~沖国大に在籍する後輩たちや、沖国大を志望している高校生へメッセージ~
大学の4年間は、たった1200日くらいしかないので、1日も無駄にすることなく、大いに学んで下さい。
僕は、法学部を卒業し、画家になりました。どの学部を選んだとしても、自分の可能性を自分で決めつけてしまわずに、色々なことに好奇心を持って日々を過ごして欲しいと思います。
どんな道に進んでも、大学で学んだことは、いつか必ず役に立つ日が来ます。
それと、僕が卒業してから図書館と体育館が新しくなったので、内心、とても羨ましいです。
2012年11月27日
総務部広報企画課
沖縄国際大学HPより転載